税理士事務所の思い出

税理士事務所で働いていたことがある。
女性の税理士先生の事務所で、職員も女性のみ、私は会社の簡単な経理経験しかなかった。よそも何件も応募したが、25才を過ぎて未経験で、しかも母子家庭ではどこも採用してくれなかった。
そんな私がこちらでは採用になり税理士事務所職員としての仕事が始まった。
未経験だというのに、いきなり顧問先を担当させられ、資料をいただきに行かなくてはならなくなった。お客様に何か聞かれても私には何もわからない。「先生」と呼ばれて、「私は先生などという人間ではありません」といつも心の中でつぶやいていた。そして、決算までやらなくてはならなくなった。納付書1枚書くのに何度も書き損じるような私がである。


ここの先生がとても厳しい人だった。質問すると早口で説明されてとても1回では理解できない。でも、何度も聞くと叱られる。とても怖くて、怒られてやめる職員もいた。
何もわからないまま質問してはだめなのだ。私と同僚は助け合ってわからないところを調べるようになった。お互いに経験したことを教えあって、お互いの為にお互いの仕事を交換して厳しくチェックしあった。そうして、確認の意味で、先生に「こうしてみました、あっているでしょうか?」と聞くようにしたのである。
税理士事務所の仕事は1年目はわからないままなんとか過ぎ、2年めにやっと何となくわかってきて、3年で初めて1人前になると言われた。
わからないままというのが苦しくて簿記の勉強を続けた。簿記2級に合格したが、実際の業務とはあまり関係ないことがわかった。
初めての決算が出来上がったときは感動だった。決算書と総勘定元帳を見て、「私が作ったんだ・・・」とうれしくなった。失敗したとき、あまりにつらくて、帰宅後小学生の娘に抱きついて泣いたこともあった。
毎月どこかの決算をやっていた。忙しくて毎日が残業で、朝入れたお茶を飲むのはいつも冷たくなってからだった。
その頃パソコンが徐々に普及し始めた。会計自体は専用機を使っていたが、どうやら表計算ソフトというものを使うと便利らしい。当時まだワープロに表計算ソフトが付いてくるようになったくらいの頃である。「Lotus123」で計算書を作ってみた。
3年目に入る頃だっただろうか、娘が腹痛を起こすようになった。「ストレスから腹痛を起こしているようです」とお医者さんに言われた。小学生の娘は学校が終わると学童保育に行って、その後一人で家で私の帰りを待っているのである。
これはきつかった。不平不満も言わず、我慢していると思うと、つらくてつらくて、結局、残業の無い職場へ転職することにした。
その後、建設業の事務をやったり、派遣でスーパーバイザーをしたりということになるのだが、こんな厳しい職場の後では、どこの会社に行っても仕事はひどく簡単だった。いちいち教えてもらわなくても書類を見れば仕事はわかる。
退職した後になって、改めて感謝の気持ちが溢れてきた。未経験の私に、短期間のうちに多くの経験をさせてくださった。税務というのは、最後には先生の名前と判で提出される仕事である。つまり私の失敗を先生は自分の名前で責任を取ることになるのだ。
有限会社を設立してから、退職後はじめて、先生のところに挨拶に行った。お礼を言いたかったのだ。先生も喜んでくださった。相変わらずパワフルで当時お世話になった先輩も一緒に元気そうだった。
この先生にお世話にならなかったら、今の私はなかったと思う。他人を叱りながら成長を待ってくれる職場がどれほどあるだろうか。